関税の背景にあるのは
・「格差」「産業空洞化」「労働者の苦境」「家族の崩壊」への問題意識
・それらを生んだ市場経済とグローバリズムへの憎悪
・その解決を目指す長い闘いの始まり、という認識
・保守思想家たちの描く「理想のアメリカ社会像」と新しい方法論
・単なる貿易赤字ではなく、アメリカの経済と社会の変革への渇望
・しかし、他国に不当な関税を課す理由にはなりえない
4月2日、トランプ大統領が各国に課す関税率を明らかにしてから世界中で反発や混乱が続いている。今年初めにはアメリカの平均関税率は4%未満だったが今では22%を超え、100年余りで最高の水準に達している。しかし、依然としてトランプ大統領の真の狙いや今後の見通しなどは不透明感が強い。それがまた不安を助長している。この関税政策の狙いは何なのか。
結論から言えば、その背景にあるのは他の政策と同様に、アメリカの中低所得層の長年のフラストレーションだ。そこに新しい保守思想家たちの目指す「望ましいアメリカ社会像」を取り戻す取り組み、そしてトランプ氏自身の個人的な思いが加わり、簡単にはくじけそうもない強い決意を持った政策となっている。
トランプ氏の長年の持論
トランプ氏はアメリカの貿易赤字への問題意識を長年にわたって主張している。
1988年、自動車や家電などの日本製品が大量にアメリカに輸出され、貿易摩擦が高まっている中で発言している。
1988年4月、NBC「オプラ・ウィンフリー・ショー」
「もし私が大統領だったら、日本やその他の国がアメリカをどう扱っているか見直す。彼らは我々の国を文字通り略奪している」
当時、レーガン政権は貿易赤字が500億ドルを超えた日本に対して強硬な対応を取り、パソコンやテレビなどに100%の関税を課した。スーパー301条を根拠に半導体にも100%の関税を課している。
また、1989年にCNNの「ラリー・キング・ライブ」に出演した際には
「日本はアメリカに製品を送り込んで、アメリカは何も売ることができていない。アンフェアだ」
と述べている。国ごとに貿易収支をゼロにすべき、という考えをすでにこの時点で述べている。
そして10年以上たった2000年に出版した『The America We Deserve』 の中でもこう述べている。
「我々はいわゆる『自由貿易』にひどく痛めつけられている。中国のような国との取引で毎年何千億ドルも失っている」
矛先は中国に代わってはいるが貿易赤字を「富が奪われている」と考える部分は現在も一緒だ。そして自由貿易そのものを敵視している。
関税政策を支えるProject 2025
こうしたトランプ氏個人の思いを思想的に支えているのが保守派の専門家集団だ。今回の関税政策の背景として指摘されるのが保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」が2023年4月に発表した政策提言「プロジェクト2025」。400人以上の専門家や元政府当局者が参加して作成された。
移民対策の強化、強硬な対中政策、気候変動対策よりも経済成長を重視、など多くの点でトランプ大統領の主張と一致している。選挙戦の中で民主党は「あまりに保守的だ」とトランプ氏を攻撃する材料とした。このためトランプ氏は一時、自らとのつながりを否定はしたが、提言に参加した中から多くの人物が高官として採用されており、就任後に出された多くの大統領令とも一致している。
提言では保護主義的な通商政策を主張していて、中国を第一に挙げながらも、鉄鋼や半導体などの国内産業を保護するために他の国に対しても関税を戦略的に利用すべきだとしていた。これはこれまでのトランプ大統領の主張と同じだ。
今回の関税についての「アメリカは食い物にされてきた」という理屈はこれまでのトランプ氏の主張通りだ。しかし、株式市場の動揺を一顧だにしない今の姿勢からは、もっと深い目的意識の存在が伺える。それは何なのか。
キーパーソン
その謎を解くカギを握るのはトランプ大統領の政策ブレーンの1人、オレン・キャス氏だ。保守系シンクタンク「アメリカン・コンパス」を設立し、主任エコノミストを務め「Project 2025」にも参加している。
2012年にオバマ大統領に挑んだミット・ロムニー氏の政策ディレクターを務め、2020年にアメリカン・コンパスを設立。その特徴はこれまでのアメリカの保守の政策をも批判し、保守勢力自体の改革を目指す点だ。その主張を細かく見ていくと、今回の関税の目的が見えてくる。
一律10%+毎年5%上乗せ
キャス氏は2018年以降、発表した著書やレポートの中で繰り返し関税の重要性を指摘していて、「輸入品に一律10%の関税を課し、貿易赤字がゼロになるまで毎年5%ずつ税率を上乗せしていくべし」 と提言してる。
究極の目標は「家族の再建」
この政策のゴールを貿易赤字をゼロにすることに設定していて、特に問題視しているのは「製造業の空洞化」と「格差の拡大」、「家族・共同体の喪失」だ。そしてこうした問題を引き起こした元凶として自由貿易やグローバリズムを批判している。
つまり彼の政策提言が掲げる究極の目的は、空洞化した製造業の復活であり、そうした経済を作ることで労働者の生活水準を上げて格差を解消し、「家族」と「地域社会」を再建することだとしている。そしてその主張は共和党の有力者たちを惹きつけ、JD・ヴァンス副大統領、マルコ・ルビオ国務長官、トッド・ヤング上院議員、トム・コットン上院議員らとの良好な関係が報じられている。
そのキャス氏が中心となって2023年6月に「アメリカ市場主義の再構築」というレポートを発表している。重興味深いのでその内容の一部を紹介したい。
【格差への反発】
・過去50年間で、企業利益は185%増加したが賃金は1%上昇しただけだ。
・半導体から民間航空宇宙、ロボット工学に至るまで、アメリカの産業は技術的優位性を失った
・米国のような先進国は最先端の技術に注力できるはずだが、先端技術製品における米国の貿易収支は、1992年の600億ドルの黒字から2020年には1900億ドルの赤字に転落している
・1985年には普通の男性労働者が4人家族の中流生活を支えられたが、今はできていない
・アメリカの下位50%の資産は減り、上位10%の資産は増加している
【市場経済への批判】
・市場は利益をもたらすが、国家の衰退ももたらす
・過去40年で資本主義は市場原理主義に乗っ取られた
・消費の拡大ばかり重視する政策によって「アメリカが何を作れるか」を無視するようになった
・結果、格差の拡大、イノベーションの減速、機会の減少、中流階級の安定の喪失が起きた
・減税、規制緩和、自由貿易といった政策は、自由のイデオロギーにはぴったりだったが、国家にとっては大惨事だった
・グローバリゼーションは国内産業と雇用を破壊し、崩壊したコミュニティを残した
・金融化は経済の重心をメインストリートからウォールストリートに移し企業利益の爆発的な増加と賃金の停滞、投資の減少を招いた
・労働組合の衰退は、労働者の市場での権力、職場での発言権、そして共同体への参加を奪った
・右派が積極的に後押ししたこれらの政策が、格差の拡大、イノベーションの減速、機会の減少、中流階級の安定の喪失につながった
・アメリカの資本主義を再建することは、過去を再現する懐古趣味的な行為ではない
・強力な労働運動は、資本主義がうまく機能するために不可欠である
・家族こそが資本主義の究極の目的
格差の拡大が止まらないアメリカ
このようにキャス氏は問題の根本原因としてアメリカが市場経済とグローバリズムをあまりに野放しにしたために格差が広がってしまった、と捉えている。この点は重要だ。そして産業の空洞化と格差、家族・地域社会の崩壊を密接にリンクさせている。

このグラフは青が「1世帯当たりのGDP」、赤が「世帯収入」である。
アメリカのGDPは一貫して右肩上がりに成長を続けてきた。一方で世帯収入は80年代末を境に横ばい傾向となり、GDPとのギャップが広がっていく。これがキャス氏の言う「アメリカ企業は儲かるが国民は豊かになっていない」という現象だ。つまり、企業は儲かっているほどは従業員に賃金を払わない、という態度をとっていることになる。それはキャス氏が指摘するように労働組合が弱くなったせいでもある。
格差を拡大させる税制の変化
ほぼ同じ時期、89年まで8年間のレーガン政権では所得税の最高税率を72%から28%に大幅に引き下げている。これによって「富裕層はより豊かに」という富の偏在、格差社会が始まっていくのだ。このギャップを埋めるためにアメリカ政府は「女性も平等に働く社会」を唱える。夫婦2人が働くことで収入を増やし、このギャップを埋めながら生活水準を挙げていくことで不満をそらそうとしたのだ。
家族の崩壊
キャス氏はレポートの中で、「1985年には普通の男性労働者が4人家族の中流生活を支えられた」と指摘している。父親が働き、母親は家で子供と過ごすという社会にすることを「家族の再建」と考えているように見える。
「大草原の小さな家」
こうした家族像はアメリカの保守派が非常に重要視するものだ。キリスト教の教えをベースに父親を中心に家族が密接な関係を築き、つつましやかな暮らしの中に幸せを感じる、そんな家族像だ。かつて日本でも一世を風靡した「大草原の小さな家」というドラマがあった。西部開拓時代の古き良きアメリカを描いた名作だが、保守派の人々が思い描く理想の家族像はまさにこの世界観だ。そしてこうした価値観を持つ人々がトランプ氏に投票した人たちである。
「世代」の共通体験
もうひとつ、キャス氏が頻繁に触れるのが「世代」の重要性だ。1980~90年代生まれで現在30代後半から40代の彼の世代は東西冷戦も知らない。大きな出来事としてイラク戦争とリーマンショックに強い影響を受けたと指摘している。
イラク戦争の代償
まず、911をきっかけとしたイラク・アフガニスタンの戦争を「エリートたちの失敗」と捉えている。そして自分たちの世代は 「無謀な戦争と誤った外交政策の代償を払っている」と発言している。この意識はトランプ政権のウクライナ政策にも色濃く表れており重要な点だ。
リーマンショックの不公平感
一方のリーマンショックは「グローバルな資本主義の暴走」と捉え、現行のシステムの欠陥を露呈し「市場が全てではないことを教えてくれた」と指摘。そしてエリートが危機を招いたにもかかわらずエリートは救済され、最も被害を受けたのは中低所得層の労働者たちだった、と批判している。
関税政策の根深さ
ここまで見ていくと、今回のトランプ関税が恐ろしく根深い壮大な目的意識を持っていることが分かる。市場経済やグローバリズムそのものを半ば敵視して、アメリカの社会の再建を目指しているのだ。市場の動揺やアメリカへの信用の失墜もその壮大な目的の前には小さなことに見えているのかもしれない。問題は、トランプ氏とキャス氏ら新たな保守派の考えが完全に一致しているのかどうかだ。一致していればトランプ氏とのディール、手打ちはさらに難しくなり、世界経済の混乱はさらに大きくなる。
浮かび上がる2つの問題
ここまで見てくると2つのことがはっきりしてくる。
一つは、やはりこの関税には正当性はないということだ。アメリカの産業が空洞化し、賃金が伸びず、家庭やコミュニティが崩壊していたとして、そしてその原因が行き過ぎた市場主義であったりグローバリズムだったとしよう。それでもそれが他国に法外な関税を課すことを正当化する理由にはならない。アメリカが自分で問題に取り組めばいいだけだ。そのためになぜ他の国が不当な負担を負わなければならないのか、という説明にはならない。
各国がアメリカに課している関税率だとして根拠不明なそして間違った数値を公表して、それを根拠に「報復」だと関税を課すことが何を生むのか。結局、アメリカへの不信感を強め、指導力を損ね、中国の方がマシだと思わせることにつながるだけではないのか。
アメリカ国民が求める変革
もう一つはアメリカ社会で起きている大きな地殻変動だ。トランプ氏を2度当選させたアメリカ国民の心理は一過性の不満のはけ口ではない。これまで数十年間に渡ってアメリカ政府が世界をリードしてきたやり方を土台からひっくり返そうというほどの大きな「変革への渇望」だということだ。
アメリカの保守派がこれまでのアメリカ自身と世界のメカニズムを否定して、「あるべきアメリカ」、「あるべき世界」に作り替えようとしている。そしてそれはトランプ政権の後も大きなエネルギーとしてあり続けるだろう。世界はそのアメリカにどう向き合うのか。まだ誰もその答えを見つけられていない。
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