ドナルド・トランプ大統領は、9日、約60カ国に対して国ごとに設定していた「相互関税」の上乗せ部分について「90日間停止する」と発表した。すべての国に対して10%の追加関税を適用するとしている。日本からの輸入には24%ではなく10%の関税が課されるとみられる。
なぜ延期?
この追加関税は9日に発効したばかりで、トランプ氏がSNSで「冷静に。全てはうまくいく」と投稿した数時間後の延期発表となった。延期の理由についてトランプ氏は「人々が少し興奮し、少し不安になっていた」と説明し、「政策には柔軟性を持つべきで、私にはそれができる」と述べた。
前日にはホワイトハウスのカロリン・リーヴィット報道官が「延期も撤回もしない」と発言していた。しかし、アメリカでは5日の土曜日に全米50州の合わせて1200か所で反トランプデモが行われるなど反発が強まっていた。首都ワシントンでも主催者発表で2万人が参加する大規模なデモが行われた。トランプ政権2期目では初めてとなる大規模デモだった。
テッド・クルーズ上院議員
トランプ氏と関係の近い共和党のテッド・クルーズ上院議員は、今回、珍しくトランプ氏の政策を批判していた。関税がアメリカ経済に及ぼすリスクを指摘し、来年の中間選挙で共和党が惨敗する恐れがあると警告していた。 そして、この件でトランプ大統領に直接考えを伝えて関税政策からの撤退を促したことを明らかにしていた。同様に盟友でもあるリンゼー・グラム上院議員も翻意を促していた。さらにウォール街のトランプ氏の大口献金者たちもトランプ氏に撤回を求めていたと報じられている。株の暴落に加えて特に米国債が値下がりし、長期金利が急激に上昇したことでホワイトハウスはパニック状態に陥ったとも言われている。
このように、株価の暴落だけでなく、米長期金利の急上昇、アメリカ国民の強い反発、そしてトランプ氏に近い人々からの関税に反対する声、が同時に起きた。その結果トランプ氏はその政治的コストに耐えられなくなった、ということになる。
中国が引き金
今回、トランプ氏は、各国への追加関税を一部延期する一方で中国に対してはさらに関税率を引き上げた。中国がトランプ関税への報復として追加の関税を84%に引き上げると発表したことを受けて、中国からの輸入品に対しる関税を125%に引き上げて「即時発効する」と述べた。「敬意がない」と怒りをあらわにしている。
アメリカの政治サイトPoliticoは、延期は1週間前からホワイトハウスで議論されていたことだとしている。そして、ベッセント財務長官がこの中国の強硬な姿勢を利用してトランプ大統領に中国との交渉に集中することを進言し、他国への関税を一部延期させた、という内幕を伝えている。だが再び個別関税を導入する可能性は消えていない。
1. 完全なる独裁ではなかった
今回のことでいくつか重要なことが明らかになった。
1つはトランプ大統領は「独裁」に近いように見えて、アメリカ社会を敵に回してできることには限界があるということだ。今回、世論の激しい反発や近しい政治家や経済人の反対、あるいは来年の中間選挙での大敗の可能性の指摘などがあった。その全てを犠牲にしても、議会でどんなに議席を失ってもいい、とまでは考えていなかったのだ。延期の決断に至ったプロセスはもう少し検証が必要だが、いずれにしても今回トランプ氏は方向転換をした。権力の限界を露呈したことはある意味でポジティブな発見だ。
例えば台湾有事、あるいは尖閣有事が起きた場合、トランプ大統領は軍事介入をしないのではないか、という声がアメリカ軍の中からも漏れてくる。その場合、日本は非常に厳しい状況に置かれることになる。しかし、アメリカ議会や国防総省の高官らの間では「軍事介入すべし」という声が強いことが予想される。今回の対応から分かるのは、その場合、トランプ大統領は周囲の声に押されて翻意することがあり得るということだ。
2. キャス氏との距離感
もう一つ今回の決断から分かったのは、トランプ大統領とオレン・キャス氏やその思想との距離感だ。キャス氏は過度な市場経済やグローバリズムを批判し、関税政策によってアメリカの産業空洞化を解消して雇用と賃金を向上させ、労働者層の生活を向上させる、そして家族やコミュニティを復活させるという壮大な「アメリカ社会の復活」を唱えている。それはトランプ政権の4年間でできることではなく、むしろその後が重要だと説いている。
政治的ダメージの限界点
この新たな保守思想を唱えるキャス氏とトランプ氏が目的意識を同じくするのであれば、トランプ氏は関税政策を容易には方針転換しなかったであろう。しかし、今回、わずか1週間で「延期」という決断をしたところからするとキャス氏ほど強固にこの目的に大統領職を賭けるつもりはないことがわかる。トランプ氏には外交や安全保障、移民政策など他にも重視する政策分野がある。今回、関税から被る政治的ダメージの限界点を浮き彫りにしたと言える。
ただ、キャス氏は関税率について「一律10%の関税を課し、貿易赤字がゼロになるまで毎年5%ずつ税率を上乗せしていくべし」と主張している。今回、トランプ氏は国ごとの上乗せ分は延期したとはいえ、一律の10%は課したままだ。その意味ではキャス氏の主張通りとも言える。今後の展開にはなお警戒が必要だ。
3. 中国への警戒感の強さ
さらにもう一つ、トランプ氏が中国に対して特別な問題意識を持っていることも明らかになった。そして中国への強行姿勢でアメリカの世論の目を逸らすことができるとも考えた。だからこそベッセント財務長官はトランプ氏を説得しようとしたのだし、説得できたのである。
世界を震撼させた「報復関税」と突然の「延期」。
今回の事態は、不透明感の濃かったトランプ大統領の頭の中について少しだけ解像度をあげたと言えそうだ。
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